高校生(部活編)

友達に合わせて何となく入った機械系の部活
この時点では機械系なんて一切興味ないし、そもそも学科選択的には機械系行くつもりもないしなーと思いつつも、どうせ強制だし半年経ったらやめればいっか、くらいのノリだった

最初は旋盤とかフライス盤とか帯鋸とかボール盤とかいろいろ機械に触れていく感じだった
のは、いいとして
土日祝休みなく、8時半(確か)から19時までっていうスケジュールだった
え、マットブラック部活??
先生のお手伝いとかもあるわけです、実習で使う材料の用意とか、プリントのホッチキス留めとか
だからって、当たり前だけど、給料があるわけじゃない(今考えると絶対先生たちが大変だったよね)

私は1年のころ、途中で耐えられなくなって、部活に行かないことが増えた
特にやりたいわけでもないし、時間長いし
ちなみに、動けなくなるくらい胃が痛くなることが数日あって、胃カメラ飲んだりした
まぁ何もなく多少逆流してますね~ってくらいだったけど

2年になって、働き方改革で日曜休みになった
あと、数個あった大会のなか、溶接競技会の選手が1人部活をやめたことによって空きが出た
それを顧問の先生が部活の最後の挨拶の時間に言って、誰かやりたい人いるかと尋ねた
誰も手をあげなかった
私はチャンスだと思った、私も何かできると
挨拶が終わった後個人的に先生に「溶接をやりたいです」と申し出た

1年生のころ全然部活に行かず、溶接競技大会の選手の中の1人に彼氏がいたこともあって、部員からすごく批判を喰らった
「まひろがやるくらいなら、俺がやればよかった」とか
1年生から選手としてやっていた2人には近くの公園に呼び出され
「まひろじゃ不安しかない」
「どうせ俺目当てだろ」
「入ってくるなら後輩がよかった」
とか言われた
選手になろうと思った理由を聞かれたから
「今までずっと休んできたけど、もしかしたら私にもなにかできるかもしれない、チャンスかもしれないって思ったから」
と答えた
2人にはさぞ素晴らしい理由があるんだろうな、と思って聞き返したけれど、大した理由ではなかった
「かっこいいと思ったから」
とかそんなん
それでよくケンカ売ってきたと思ったけど、ここで言い争ったって正直時間の無駄だしと思い、特に言及はしなかった

ここで私は部員全員見返してやると誓った
公園に呼び出された翌日、顧問の先生に溶接の練習がしたいから朝溶接室を開けて欲しいと頼みに行った
公園に呼び出され言われたことはこのときは伏せた
ただ、遅れをなんとかしたいからという理由にした

そこからは、授業が始まる前に溶接、授業が終わってからも部活で溶接、土日祝も部活で溶接…ゴールデンウィークやお盆の中にある学校が完全に休みになる日以外は全部学校に行って溶接をした
最終的に、このドラム缶(200L?)2缶私の練習作品のみで埋めたくらいには練習した

その間もう2人の選手はロボット相撲の大会の片づけが~とか言って練習にはそんなに来なかった
あんだけ言っといてこれか、と苛立たしかったけれど、自分は自分でやっていくことにした
なにせ、私はみんなが1番恐れていたであろう顧問の先生とめっちゃくちゃ仲良くなって、その人が味方になってくれていたから

うちの学校に溶接を教えに来てくれてた方がいらっしゃったんだけれど、その人が来てるときに、2人と一緒に休憩したくなかったから、2人が授業スペースで休憩している中、私は溶接ブースで1人休憩していた
そしたら後々、「まひろじゃ不安しかない」と言ってきたやつが、「気遣わせてるからそっちで休憩するのやめない?」と言ってきた
「誰のせいだと思ってんの?」って返して結局ブースで休憩してた

それだけ溶接をずっとやっていたら、正確にはいつだったかわからないけれど、みんなが認め始めてくれた
批判なんて言ってくる人はいなくなったし、批判を言っていたという話も聞かなくなった
が、やはり伸び悩みというものがあるもので、途中でうまくいかない期間が続いた
そこで私は、1週間部活を休むことにした
溶接から離れることにしたのだ
毎日やっていたものから離れるのは怖かった、次来たときできなかったらどうしようと悩んだ
でも、なぜかはわからないけど、離れたらきっとうまくいくと思ったのだ
自分の思った通り、休んでからやった溶接は前よりよくなっていた

2年で初めての大会
そのころにはもう、ほかの2人とも普通に仲良くなっていた(そもそも1人は彼氏だったんですけどね)
とりあえず、やり切ることが目標だった
大会の結果は6位、敢闘賞
多少の結果を残せたことに安堵したとともに、私より練習していなかった2人に順位が負けたことはすごく悔しかった

3年のころは、確か明らかに2年の時よりは練習量は減った
驕りがあったとかではないけれど、私の原動力がなくなってしまったから
2年のころは、見返してやると頑張っていたけれど、みんなに認められたしある種目標が達成されたから
でも、溶接をしているのは楽しかったから、練習量は減っても練習をしないとかはなかった
3年生のときの結果は3位
ビードのきれいさは1位だったらしいが、寸法がずれてしまっていたため3位
悔いの残る結果だったけれど、2年のころの批判されていたことを考えたら、やり切れてよかったんじゃないかなと思った

私はこのときはじめて、本当の努力を知った
そして、離れる勇気の大切さも知った
今でも面接で話すときの材料にしてるくらい成長エピソードだと思ってる
この部活に入ってつらいことも多かったけど、社会人になってから、部活より楽なのでは??って思うこともあったりして結構助かってる部分もあったりした(笑)

ちなみに、このとき味方になってくれた先生とは今でもご飯に行くくらい仲良くさせてもらってる
当時も公園に呼び出されて言われたっていう話をしたら呼び出した2人に説教してくれたり、同じ部活の人にストーカーまがいのことをされたりしたときにその人にいろいろ言ってくれたりした
就職のときも手伝ってくれて、本当に感謝している

さて、次回は2年生編!これが病みで闇の始まりですよ…
ではでは☆


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